知能のコモディティ化:AI業界を席巻する「循環型取引」の光と影
Commodification of Intelligence: Good, Bad, and Ugly Circular AI Deals
Commodification of Intelligence: Good, Bad, and Ugly Circular AI Deals
現在、AI業界では「知能のコモディティ化」が急速に進んでいます。特に注目すべきは、大手テック企業間で行われている複雑な「循環型AI取引(Circular AI Deals)」の実態です。本記事では、このトレンドがエンジニアや開発エコシステムにとってどのような恩恵をもたらすのか、あるいはどのようなリスクを孕んでいるのか、良い側面・悪い側面・そして醜い側面という3つの視点から徹底解剖します。
今週の米国株の動き(上がったり下がったり…)を見てると、健全な循環とそうじゃない循環の違いを理解してない投資家が多すぎる気がする。
健全な循環取引とリスクのある循環取引が見た目では区別しにくい場合、投資家や規制当局はどうやってその境界線を越えた危険な取引を見抜けばいいんだろう…特にバランスシートの外で行われている場合はね。
結局どんな金融スキームでも本質的な問いは「1ドルは本当に1ドルの価値があるのか」ってことだと思う。A社がB社に投資して、そのB社がA社から商品を買うっていう循環がある場合、投資評価と購入価格が妥当なのか、それとも自分たちの供給したもので自分たちの株価を吊り上げてるだけなのかを見極める必要があるよね。
推論用ハードウェアがコモディティ化するかどうかはまだ分からないな。ここ20年はサーバーの大半がx86-64だったし、あれがコモディティ化されたコンピューティングだ。推論用ハードウェアはまだ成熟したアーキテクチャとは言えない。これから進化と淘汰が繰り返されるはずだよ。
知能のコモディティ化
HNの反応早すぎない!?みんなもう「LLMは知的なのか?」っていう難しい問題を飛ばして、いきなり「知能がコモディティ化できる」って話になってるの?
企業はどれくらいの時間と金をPRにかけたんだ?数年と数百万ドル?それで今や誰もがLLMは「知的」だなんて言い出してるのか?
特にプログラマーは肝に銘じておくべきだよ。名前を付けるのは難しいだけじゃなくて重要だし、非常に巧妙な罠にもなり得る。マーケティング担当者が名前を付けるってことを忘れないで。例えば15年前、「インターネット」を「クラウド」と呼ぶようになったみたいにね。
お気に入りの作家(Theo Kars)の言葉が頭から離れないよ。「進歩というのは技術的な性質のものに過ぎない。なぜなら知識は移転可能だが、知恵は移転不可能だからだ」
最近こんな記事があったね:「Nvidia, CoreWeave, and Nebius: Inside the Circular Financing of the GPU Boom」 (io-fund.com)
https://news.ycombinator.com/item?id=48873836 (https://news.ycombinator.com/item?id=48873836)
370ポイント | 18日前 | 182コメント
誰か有能な経済学者が、この種の取引の循環性について数値的あるいは分析的にモデル化した人はいる?
健全な経済には幅の広い循環があるものだよね。お金が回ることは良いことだし、市場が機能していて、実物資産やサービスのフローを反映していればの話だけど。でも大企業が紙切れ上の「お手盛り取引」やデットスワップを回しているのはマズい気がする。株価や企業価値を吊り上げるための巧妙な粉飾決算に見えるよ。
その違いをどうやって「定量化」すればいいんだろう? 現金や債務のフローを、実際の商品やサービスの動きと照らし合わせる必要があるんじゃないか??
経済学者じゃないから誰か詳しい人、意見やリンクを教えてくれ。
循環取引の問題点は、実態以上に企業が健全に見えてしまい、投資判断を歪ませるということ。そして、そのサイクルが崩壊した時に広範囲にダメージを与えることなんだよ。
つまり企業は、将来の価値を期待して、自分たちの資産の大きな部分を前払いしてるようなものか。
IT業界で需要が長期的に一定だと期待するのは面白い賭けだよね。石油や水みたいな有限の資源と違って、ハードもソフトも価値が急速に減価する傾向があるからさ。
翌年には価値が数分の一になるものをコモディティ化するのは無理がある気がするんだけど、どうなんだろう。MS WindowsやOfficeならまた別かもしれないけど、比較にはならないかな。
需要には限界がある。例えば人間が処理できる量とかね。AIが最高に美しい文章やソフトウェアを作れたとしても、それを読んだり使ったりする人がいなければ意味がないよ。
まだ人工知能なんて存在してないよ。今のところ、知的じゃない。
現実を直視してみよう。いくつかの企業は、自ら考え、難解で未解決の問題を推論できるAIエンジンを作ることを目標に掲げている。
その目標達成のために、彼らはスクレイパーを使ってあらゆるソースからコンテンツをかき集めた。その多くは、各分野における決定的な情報源だ。コンテンツの多くは、オリジナルソースへの帰属表示もなければ、所有者や出版社からの許可もなく、著作権法に違反して利用されている。
これをありのままに見るんだ。これはレゴのパーツを集めたような「ナレッジベース」に過ぎない。それぞれが目標には重要だけど、正しい位置に配置されなければ完成には程遠い。パーツをかき集めてくっつければ、LLMの出来上がり。パーツの選定さえ慎重にやれば、LLMは特定の質問に対して、文脈を利用して答えを出すのには便利だ。
喉元まで出かかっている答えを出すことのどこが「知的」なんだろう。単に知識ベースから引っ張ってきて吐き出しているだけだ。
全部ひっくるめても巨大な知識ベースができるだけ。その知識ベース自体には何の知性もない。「知識」と「知性」は別物だよ。
今あるのはAK(Accumulated Knowledge:蓄積された知識)ベースに過ぎない。
その基盤であるAKを築いた先人たちと肩を並べて、あるいはそれ以上に推論できるような知性に到達することは、もしかしたら永遠にないのかもしれない。