エンジニアのための伝わる英文ライティング術:技術文書を劇的に分かりやすくするコツ
How to Write English Prose
How to Write English Prose
技術文書やドキュメントを英語で執筆する際、専門外の相手にも意図を正確に伝え、かつプロフェッショナルな印象を与えるためには「読みやすさ」が全てです。ここでは、明快で簡潔な英文を作成するための基本的なガイドラインを紹介します。1. 結論から述べる(PREP法): 技術的な要件や解決策を提示する際は、結論を最初に持ってきましょう。2. 受動態よりも能動態を使う: 「The system was configured by the user」ではなく「The user configured the system」とすることで、主体が明確になり文章が引き締まります。3. 専門用語の定義を明確に: 初めて見る読者も想定し、複雑な概念は短いフレーズで補足します。4. 箇条書き(Bullet Points)の活用: ステップバイステップの手順やリストは、段落にするよりも箇条書きにする方が圧倒的に視認性が高まります。シンプルで直接的な表現を心がけるだけで、あなたの書くドキュメントの質は格段に上がります。
英語の散文って、どうしても馴染めないんだよね。子どもの頃、いろんなバージョンの聖書(キング・ジェームズ版とか)や古い文学を読んで育ったんだけど、どれも「やたらと回りくどい」感じがして(そんな話し方で食料品の買い物について話してる人たちを想像すると面白いけど)。インターネットやSNSの言葉が標準になっていく中で、これから20~30年で散文がどう変わっていくのか興味があるよ。AIやその間の教育の影響もあるだろうしね。著者の言うことにも一理あるけど、結局は扱う題材や内容次第だと思う。
1600年代の人が英語の散文で話したり書いたりするのと、現代の人がそれを真似しようとするのとでは、決定的な違いがあるよ。現代の人がそれをやると、単に気取っているようにしか見えない可能性が圧倒的に高い。昔なら日常の一部だったかもしれないけど、今は時代錯誤でしかないからね。確かに当時の王立協会の人たちは互いに感銘を与え合おうとしていたけど、その周りにはそれなりに気の利いた奴らもいたわけだし。
私たちの睡眠の大部分は、幻想によって紡ぎ出されている
最近のスラングのせいで、これを「peaced out(さよなら)」って読んじゃったよ。実際は「pieced out(継ぎ接ぎされた)」なんだね。ピースアウト。
この型破りなエッセイで触れられていない、最も重要な問いがあるよ。「読者は誰なのか?」ってこと。もし自分が楽しむためだけに書いているなら(あと、同じくらい博学なごく少数の読者のために書くなら)、好きにすればいい。「難解な密度と無鉄砲な派手さ」を存分に楽しめばいいさ。でも、誰かの考えを変えたり、広く知識を共有したりしたいなら、このエッセイで言っていることは世間から注目を集めるために必要なことと完全に矛盾してるよ。
こいつ、Strunk and Whiteの『Elements of Style』が嫌いなんだな。あの有名な「無駄な言葉を削れ」っていう本だよ。現代では到底読めないような、バロック調のスタイルを必死に擁護しようとしてる。今の時代にもバロック的なスタイルはあるけれど、昔の古典的なバロック文学とは別物だね。今のそれは、本題に入る前に経歴や趣味の話から始まって、過去の逸話まで盛り込んじゃうような投稿のこと。New Yorkerのライターみたいにそれを面白く書ける人もいるけど、真面目な雑誌には編集者がいるからね。ブログの投稿なんて、結局はボツ原稿の山を読んでるようなものだよ。
- 優雅さと完璧な明瞭さのどちらかを選ばなければならないなら、心ゆくまで悩み苦しんだ後、常に優雅さを選ぶこと。
散文なら一理あるかもしれない(著者や作風にもよるけどね)。でも、それ以外の形式の文書コミュニケーションには当てはまらないよ。だからこそ、優れた散文作家は手紙を書くのが下手だったりする。散文以外の文章を書くとき、ルールは2つしかないと思う。
それと、『最大限』の優雅さを追い求めるのは罠だね。紫色の散文(凝りすぎた文体)になるし、音読すらままならなくなるし、ろくなことにならないよ。
こういう書き方は、ストーリーを読み進める邪魔にしかならないと思う。それに、知的なフリをしたい作家が、肝心のストーリーがないことをごまかすための手段でもあるんじゃないかな。学校で読まされた本とか、「教養がある」と自称する友人が読んでる本にこういうタイプが多いけど、正直言って読書が嫌いになる原因だよ。自分も作家だけど、キャラクターがどうしても必要とする場合以外は、こういう書き方は徹底的に避けてる。
あのさ、俺が著者の文章を真面目に批評するような立場じゃないのは分かってる。確かに言語能力は高いよ。でもこれは一体何の茶番?古風で装飾的な言葉の方が表現力があるって言いたいのは分かるけど、そういう書き方は自分自身の首を絞めてるよ。言葉が概念を上回っちゃってる。あの手の文章を読むのは、博物館にいる気分だね。ヴィクトリア調のドレスが綺麗なのは確かだけど、実際に着て歩きたいやつなんてどこにいるんだよ?
それに、単調さを避けるとか言いながら、この文章自体が「小難しい形容詞+小難しい名詞」っていう同じ構造を繰り返してるだけじゃないか。皮肉なことに、「良い文章」として引用されている5つのパッセージは、このエッセイが必死に擁護しているような冗長さをほとんど避けているというね。
シソーラスを使うな。
おいおい、最後にはふざけ始めたのかよ。
驚いたな。ここでの議論を見る限り、怒りとリテラシーには負の相関関係があるようだ。
普通の人:「おしゃべりするのが好き。」
バロックおしゃべり卿(インテリ):それについて長々とした論文を書く