ディスカッション (4件)
近年、大手プラットフォームに依存しない、小規模でこだわりの詰まった個人メディア「リトルマガジン」が再び注目を集めています。デジタルネイティブな時代だからこそ、あえて紙媒体やニッチなウェブマガジンに立ち返るクリエイターやエンジニアが増えています。
「25年前、電子デバイスで読む電子書籍が紙の本に取って代わるだろうというのが一般的な考えだったな。
出版社が『あれ、電子書籍なら利益率を上げられる上に、価格まで高く設定できるじゃん!』って気づくまではね」
ZINEシーンが低迷していた時期があったのは確かだけど、あの独特なインクの匂いは今も色あせない。既存の枠組みにとらわれない人たちにとっては、永遠の繋がりだよ。浮き沈みはあるかもしれないけれど、反骨精神を伝えたいという人にとって、ZINEは強烈な印象を残してくれるんだ。
もともとは、短編の紙媒体なんてどこにも消えてないんだから復活も何もないだろ、って議論するつもりだったんだけど、せっかくだから詩的に語ってみたくなったのさ ^.^
今日、奇妙な体験をした。図書館に行ったんだ。40分以上かけて魅力的な本棚を物色して、山ほど本を抱えていたんだけど、閉館20分前に一冊ずつ全部棚に戻しちゃった。
そのうちの何冊かは、ミレニアル世代がいかに経済的に疎外されているか、その理由について書かれたものだった。表紙に壊れた貯金箱が描かれた本は、ベビーブーマー世代を責めてたな。
この話をしたのは、自分の次の主張がどれだけ正確かわからないからなんだ。だって、主張を裏付けるかもしれない本を棚に戻しちゃったからね。もし戻さなかったら、『まだ読み込んでないけど…』なんて言い訳を並べていただろうな。
ミレニアル世代が、僕が「人民のハイブロウ・カルチャー」(ローブロウとハイブロウの中間くらいのもの)と呼ぶものを、持続可能なメディアに昇華できていないのは残念でならない。
Tumblrこそが、僕が言いたいことのピークだった気がする。
いや、別に『ミッドブロウ』と呼ぶわけじゃない。これはもっと別のものだ。多分ね。
いや、自分で言ってて笑えてくるな。
別に証明しなくてもいいか。
2010年代初頭のTumblrで消費されていたコンテンツが、アマチュア的な才能と情熱の完璧なブレンドだった、なんて懐古主義に浸れる人を増やせればそれでいい。プロぶった空気感なしに、アートや文化について情熱的に語り合っていたあの感じを、どうにか言語化したいんだ。
これは単なる経済的な疎外というより、制度的な疎外の問題かもしれない。たぶん相関関係があるんだろうね。まあ、自分の主張を裏付けるような経済学の一般書は結局手に取らなかったんだけど。
Viceが僕の言いたいことに一番近いメディアだったかもしれないけど、結局どうなったかはみんな知っての通りだ。
僕が想像してるのは『アマチュアたちの才能主義』みたいなものかな。自分たちの活動と並行して存在していたプロの出版社で働いている人たちが、実はのんびりしながら記事を書く対価を得ているなんて想像もつかないほど、純粋だった人たちさ。
今の時代に残っているのは「BookTok」とか「BookTube」、それに何故かアンソニー・ファンターノくらいなものかな。
うまく説明できなくてごめん。自分の考えがうまくまとまらなくて。
Porticoが象徴しているような、『親愛なる君へ、古典の間に伝わる遺産を』みたいな、堅苦しくて気取ったメディアにはもう飽き飽ね。
いつになったら僕も中年になって、教養を必要としている若い世代に『僕の素晴らしいセンス』を押し付けられるようになるんだろう。マートルビーチとかディーン・マーティン、あるいはマルクス・アウレリウスなんて読みたくないんだよ!
『Portico』だって? 家すら持ってないのにさ!